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素敵なオジさんの悩み。

年の瀬ということで、一年の総括でもしたい気分。
そう思うとだいたい一年じゃなくてここ一ヶ月、まぁ良くて数ヶ月の感触をもとに何かを言いそうになるけども、よくよく年の初めあたりから考えてみよう。

まず気づくことには、今年の前半はまだ前職にいたのだ。遠い昔のことのようだが。
東海岸懐かしいなぁ。僕はまだ西海岸に馴染めていない気がする。

前職と現職の一番の違いは、一緒にいる人達かな。前職では毎日同僚と昼飯を食べに行って、話す時間が多かった。研究の話だったり、同業者の噂話だったり、政治の話だったり、文化の話だったり、どんな話題もあったなぁ。
今は一人の時間が多い。
前年度は人と交流するのが主だったし、今年度からは自分との戦いなので、
これがちょうどいいんだと思う。

それはさておき、Facebookを見ているとなんだかみんな生き生きして楽しそうだなぁと思う。いや、そういう楽しそうなことだけをみんなが載せているだけか?
でも、ありきたりなことを言うと、
学校ではなんだか教室に決まった人数押し込められて個性を存分に発揮できなかったりいつも好きな仲間とつるめない人もいるかもだけど、
学校を出れば好きな友達とつるんで好きな趣味に没頭して好きな仕事ができるんだろうから、
皆happyになるのかな、とも思った。

中学のときに国語の授業で夏目漱石の「私の個人主義」を読んだ。
というか僕は全然読んでなかったんだけど、でも授業で一つ覚えていることには、漱石が書いたことで
「親子は好きでくっついたわけではないけども夫婦は好きでくっついたから夫婦の方が別れにくい」
みたいな話があったのだ。
別にその漱石の意見に賛同したわけではないんだけど、今みんなが昔より生き生きしている部分があるとしたらそういうことなのかなと思った。

もちろん若いときのイキイキが、今なくなっているってこともある。
そんな大げさに中学生まで遡らなくても、この前数年前の自分の写真を見たら、今よりずっと若いなと思った。
他の人が見たら「全然変わってないね」と言うのかもしれないけど。

ここのところ、どうやったら素敵なオジさんになれるのか考えていた。
いや、実はいまだに結構真剣に考えている。
12月の頭に日本に帰ったら合コン大王の後輩に9年くらいぶりに会った。そしたら、
「いや僕カマダさん合コンで絶対モテると思うんスよね!」
なんて言うもんですっかり真に受けたわけだ。

いや、実際僕はモテると思うんだ。だってほら、僕、賢いでしょ?そして面白いこともちょくちょく言うし、たぶん意外性あるし、顔も悪くないし。
で、その若干知的が売りなポジションって何かと思ったら、「素敵なオジさん」にたどり着いたんだ。
自信過剰なところも「素敵なオジさん」と重なるところがあるよね。

かくいう僕は合コンに行ったことが一度もない。これは本当だ。
もちろん既婚ですのでこれから行くこともありませんよ?
というわけで合コンは夢想するので終わりだ。

僕の夢想の話をいっぱいするのがこのブログだ。
僕を知らない赤の他人がこのブログを読んでも一つも面白くないだろう。

兎に角、夢想の話を続けると、素敵なオジさんというのは何だろう。目指すからにはそれがいったい何者か正体を知っておかなければならない。
そこで自分の周りに素敵なオジさんがいるかどうか考えてみた。

この前お洒落なレストランに行ってみたけど、あの客の中では俺が一番素敵だったな。却下。
自分の父親?いや、それはないな。確かに豆知識は豊富だが、太り過ぎだ。
友達にいるかな?いやオジさんというような年の友達はいないな。

そんなことを考えていたら結局4人も思い当たった。ウチ3人は経済学者で、あと一人はホリエモンだ。
ホリエモンのことは本当はよく知らないんだけど、最近ちょっと注目している。
流行に乗って新刊「ゼロ」も読んでみた。
やはり重要な要素は地頭の良さ+豊富な知識、だろう。
僕は自他共に認める天才なので前者は問題ないが、後者に問題ありである。

そういうわけだから、2014年は豊富な知識を得よう。
手始めに、「Economist」のアプリをダウンロードしてみた。でも全然記事読んでない。
僕はYahoo!のエンタメ欄が一番楽しい。

来学期からマーケティングの授業を持つのだがマーケティングのマの字も知らない僕がどうしてこんなものを教えられようかと悩んでいた。
でも気づいたことがあった。
というかこれはたまに思ってきたことなのだが、ようやく確信に近くなってきた。

自分が雇われたり、どこかで話すのを頼まれたり、人を感心させたりするのは、
僕が何かの知識を持っているからではなくて、それを活かす頭があるからだ。そのことにもっと自信を持たなければいけない。
僕が普通にしゃべってるつもりでもそれを聞いた学生はふんふんなるほどそういうことか、
となるのだということに気づけば、
どっかの教科書に書いてある付け焼き刃の知識を教えるより、
ただ自分が思うコレという内容を教えれば学生は得るものが大きいし自分もhappyだ、だからそれでいいんだということに気づいた。

だからやっぱり「豊富な知識」はヤメだ。

ちなみに僕が経済学者で3人も思い当たったことは重要だと思っていて、なぜかというとこれは少し仕事や趣味の分野が近い人の方がすごさが分かりやすいから憧れやすいということをしめしているようだからだ。
だからもし合コンに行ったら経済学部出身の女の子を捕まえよう。

夢想は果てしない。

話があっちゃこっちゃ飛んでいるように見えるかもしれないが、だいたいこれが僕だ。
僕と話したことない人は、僕と会話するとこういう感じだと思った方がいい。
一応僕の中では話は最終地点に行くまでのどっかで全部ひとつくらいに結ばれる。
べつにそういう会話のスタイルを目指しているわけではないんだけど、ただあれこれ関係ないことを思いついたままに話してあとで事態を収拾しようとするからこうなるのかな。


と、ここまで書いて数日放置しておいたのだが、その間に重要なことに気づいた。
そういえば研究のことを書いてないじゃないか!
俺、この国に研究しに来てんだったわ。

2013年はresearch-wiseではどんな年だっただろう。
今年uniqueなのは、新論文を一本もwebにアップロードしなかったことだ。
古い論文を改訂版に置き換えたりはしたけど。

ってのは、別に新しいprojectをやっていないんじゃないんですよ。
いくつかやってます。
でも最近は本当に「これは新しいな!」というのだけをやるようにしているのだ。
それでそういうのはあまり中途半端な感じでwebに出したくない。
というわけで少し慎重になっている。

「本当に「これは新しいな!」というのだけをやるようにしている」
なんて言うと、それがあるべき姿だ、いやむしろそうじゃない奴は研究者として終わっている!
なんて青臭い君は思うかもしれないけれど、
そんなことはない。

研究なんてのは全部巨人の肩に立ってやるもんで、
ほとんどの研究が消しゴムのカスを巨人にちょこっと乗っけるくらいのものだ。

先人がやったことを良く理解してそれにほんのちょっとだけ新しいことを加える、
それが重要か重要じゃないかなんて考えるのは後でいい。
とにかく最初は手を動かして何か新しいことがあるのか考えてみることだ。
最初はそうやって研究をすべきである。

というのが僕の持論。
そうこうしていくうちに何が重要そうで何が重要そうでないか見えてくる気がするんじゃないかな?

僕は何となく自分はそのステージやっと終わりかけてきている気がして、
これからは自分の良さが活かせる研究をもっとしていきたいな、
と思っている。

まぁ研究の話はいっか。

紅白見たかったなぁ。
アメリカで正月を迎えるのは7回目だ。
2014年どんな年になるかな?
先のことはよく分からないけど、とりあえずワクワクしとこう。
2014年も、少し自信過剰くらいな感じで、頑張ります。


なんかすごく長くなったけども、
あまり自分の言いたかったことが言えていない気もする。
まぁいっか。

頑張ってあることないこと言いながら長い時間過ごすけど、
なかなか本題に進めなくて、
じゃあまた今度ねって言って、
そういうのが、
人生だよね。
by ycam24 | 2014-01-01 16:05